一般社団法人 福島県理学療法士会

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7月17日は
理学療法の日
昭和40年、理学療法士について定めた法律「理学療法士及び作業療法士法」が公布され、翌年、第1回理学療法士国家試験が実施されました。この試験に合格した110名の理学療法士によって同年7月17日に結成されたのが、日本理学療法士協会です。 理学療法の日は、この日本理学療法士協会結成の日にちなんで制定されました。日本理学療法士協会は、理学療法を行う唯一の学術および職能団体として学 会の開催や学術書の発行等を通じ、今日に至るまで理学療法の発展と国民の健康 に貢献しています。

川柳コンクール優秀作品をラジオで放送!!

[理学療法啓発ラジオ番組]

5・7・5で紡ぐ
私の理学療法体験川柳

福島県理学療法士会では川柳コンクールを企画し、優秀作品については令和5年7月17日18:30~18:44のラジオ福島で朗読を行います。ラジオ福島のホームページ内のPodcastから放送内容を聞くことも可能です。

[ 出 演 ]
舟見 敬成 (一般社団法人福島県理学療法士会会長)
岡崎 可奈子 (一般社団法人福島県理学療法士会公益事業局長)

ON AIR

2023年 7月17日 月曜
18:30~18:44

ラジオ福島にて放送!!

ラジオ福島のPodcastでも聴取可能です

最優秀賞

「一歩二歩 リハビリ続け いま散歩」

2017年98歳で亡くなった母の事です。母は89歳の時、股関節を骨折しました。更にさかのぼる2年前の87歳の時に中程度の脳梗塞を患っておりました。 股関節術後の病院でのリハビリは痛いとか、こんな歳になってリハビリは嫌だとか、駄々をこねておりました。 退院の日、先生から「脳梗塞があり89歳の高齢であることを考えたら自立で歩ける様になるのは難しい、このまま寝たきりになる可能性があるので、そのつもりで看てあげてくれ」と言われました。

私は母に包み隠さず其の事を話しました。母は当然の事ながら寝たきりになるのは嫌だと言います。 それではと私は母のリハビリに取り組みました。途中もう歳だし痛いしとリハビリを何度も拒みました。 私は心を鬼にして叱り、なだめ一歩二歩と朝昼晩リハビリを続けました。 その甲斐あって2週間くらいから痛がることが少なくなり約3ケ月後くらいには自立で歩ける様になりました。 そして軽い散歩も出来るようになりました。

後日診断の折、母が歩いて来た姿を見て先生は奇跡だとびっくりされました。 風呂はデイケア―を利用しましたが98歳で亡くなるまで食事、トイレは自分で出来ました。 寝たきりにならない為にも、させないためにもリハビリは欠かせないと思います。

黒飛 義竹 (広島県)

最優秀賞

「リハビリが 進む病の 防波堤」

難病の進行性核上性麻痺を患う妻ですが、理学療法によるリハビリのお陰で、身の回りの事は自力でこなしています。
認知もなく、川柳は妻と一緒に考えて応募させていただきました。

札内 五郎 (北海道)

「動き出す いつの間にやら 心まで」

一か月の長期入院で疲れ切っていた母が、週一度通う整形外科の理学療法士の方との会話を、
家族に楽しげに話す様子を見て心まで前向きに動き出していると感じました。

村田 真 (静岡県)

会長賞

「万歩計見えぬ相手と競い合い」

万歩計のアプリを利用しています。ニックネームだけで誰かもわからず顔も見たことない方と競い合っている自分がいます。
見たこともない相手ですが、ウォーキングしたり散歩したり動いたりするのに良い励みになっています。

鉄地川原 幸子 (福島県)

入選

「歩行器で夢叶うまであとひとつ」

脳梗塞後のリハビリでは、車椅子での移動→歩行器での移動→杖での移動と一歩前に進むにつれて
厳しさを増すリハビリを支えてくださったのは、担当理学療法士さんの北風と太陽のような声かけでした。

山口 秀樹 (京都府)

「療法が 朗報になる 杖いらず」

父よ!頑張れ!

青木 知恵 (東京都)

「リハビリが荒海鎮め凪にする」

最初は先の見えない回復、まるで暗闇の海のようでしたが、リハビリで日常が戻りつつあります。
ようやく凪の日々が戻ってきそうです。

荘子 隆 (宮崎県)

「言葉かけ して杖となる 療法士」

理学療法士さんのアドバイスや励ましの言葉が心の杖となり、頑張ることができました。

小田中 三津子 (千葉県)

「嘘みたい リハビリしたら 肩まわる」

肩関節周囲炎を発症したが、3か月のリハビリ後肩がまわるようになった

山田 規一 (神奈川県)

「老いの身は 杖より頼る 療法士」

とても頼れる療法士さんにお世話になっています

井上 英一 (大阪府)

「リハビリで 生きる勇気が よみがえる」

妻78歳は、昨年5月自転車で転倒し、左腕の根元を骨折した。人工骨の置換手術を受け1か月入院。
その後リハビリを受けた。左腕の動く範囲は、狭く、筋力も落ちた。妻は生きる力もなくなり、一時は絶望だった。
しかし、病院の先生とリハビリの先生のおかげで、左腕の可動範囲と筋力が回復した。
妻が元気になり、病院へ1年間付き添った私も感謝している。

松谷 忠和 (山形県)

「リハビリで のびる背筋と 笑いジワ」

最初は苦痛だったリハビリ。
しかし理学療法士さんの励ましとギャグのおかげで背筋も笑いジワも伸びました。

小松崎 有美 (埼玉県)

「リハビリが くれた希望と 生きる意味」

祖母はリハビリを受けて、未来への希望を見つけ、人生を生きる意味を見出した。

安藤 一明 (長野県)

佳 作

「リハビリで 趣味の園芸 カムバック」

もう、できないかも···と言っていた母は趣味の園芸に見事にカムバックしました。

角森 玲子 (島根県)

「リハビリは 再生可能な 最善手」

動脈解離を患い、著しく運動機能と体力が落ちました。しかし、理学療法士の方々による懸命なリハビリにより、身体も心も回復出来た経験から浮かびました。

札内 隆 (北海道)

「来るたびに 笑顔を増やす 療法士」

脳梗塞で入院した時に、リハビリのために来る療法士さんが、だんだん私の笑顔を増やしてくれました。

杉本 湘路 (神奈川県)

「膝が癒え 広がるウキウキ 可動域」

奥田 玲 (福島県)

「リハビリは 孫の笑顔で もう一周」

孫とリハビリ中の母を見学。ガラス越しに必死で歩く母を見て孫が笑顔の声援。母は頑張ってもう一周していました

小菅 隼人 (神奈川県)

「この年で あんよを習う 昼下り」

脳出血で右半身の感覚麻痺です。杖無しで歩けるのですが、歩行可能距離が短く腰痛が出ることもしばしばで、歩き方を指導されます。

佐浦 正人 (福島県)

「頑張れる 心に残る その想い」

私は痛みさえとれれば、どんな姿でも とにかく歩ければよいと思っていました 。術後、リハビリ初日、「鏡を見て綺麗に歩く様一緒に頑張りましょう」と声を掛けられ驚きました。 それから来る日も来る日も鏡を見て歩きました。 退院時には「ときどきガラスに映る姿を見て下さい。少し気をつけるだけで違いますから」と笑顔で送り出して下さいました。 私には今も大切なリハビリです。

山本 なおみ (京都府)

「歩けたよ 涙と拍手の リハビリ室」

骨折し入院したときに理学療法士の先生方にお世話になりました。痛くて苦しくて、でも訓練のおかげで歩けたときは、嬉しかったです。

小山 京子 (福島県)

「ちいさいが 歩幅以上の 第一歩」

リハビリをして一歩踏み出せた感動は今でも覚えています。歩幅は小さいが僕の中では大きな一歩でした

小松 真人 (大阪府)

「筋トレも 手すりもエールも 老いの杖」

リバビリに通って十年。何より療法士さんの励ましが心を支える杖になっています。

見沢 富子 (埼玉県)

「ゆるトレで ネコから背筋 ヒトになる」

病院で配布されている広報誌に理学療法士さんが監修した「ゆるトレ」の記事を見つけ、家で試したところ家族から背筋がヒトに戻ったねと驚かれたことを題材にしました。

澤田 祥典 (鳥取県)

「PTの言うことならば聞く親父」

頑固おやじでもPT(理学療法士)にいうことは素直にはいはいと聞く

中原 政人 (千葉県)

「仮免が おりて今日から 外でリハ」

白石 雅義 (千葉県)

「立ち上がり おひさま少し 近くなる」

車椅子から立ち上がったら、ちょっと暖かく感じました。おひさまを感じられました。

萬 桜林 (愛媛県)

「リハビリは AIよりも 人間愛」

馬場 鈴代 (大阪府)

「リハビリが 明日を明るい 日に変える」

リハビリが可能性を広げ、希望を繋いでくれます。

安田 清一 (千葉県)

「ありがとう リハのおかげで ひとり立ち」

祖父が病気で倒れたとき、理学療法士の方とともにリハビリに励んでいる様子を見ていました。無事にリハビリを終え、日常生活を送れるようになった様子と、理学療法士の方への感謝を詠みました。

松井 尊洋 (広島県)

「足折るも 心は折れず 励むリハ」

15年前に足の脛の骨を骨折し大変ショックを受けたが、松葉杖をつきながらなんとか頑張ってリハビリをして、普通に歩けるようになった。

宮島 幸夫 (埼玉県)

「足どりも心もリハで軽くなり」

澤田 典子 (徳島県)

「リハビリを終えて勇気と希望湧く」

眞鍋 信二 (愛媛県)