- 7月17日は
理学療法の日 - 昭和40年、理学療法士について定めた法律「理学療法士及び作業療法士法」が公布され、翌年、第1回理学療法士国家試験が実施されました。この試験に合格した110名の理学療法士によって同年7月17日に結成されたのが、日本理学療法士協会です。 理学療法の日は、この日本理学療法士協会結成の日にちなんで制定されました。日本理学療法士協会は、理学療法を行う唯一の学術および職能団体として学 会の開催や学術書の発行等を通じ、今日に至るまで理学療法の発展と国民の健康 に貢献しています。
川柳コンクール優秀作品をラジオで放送!!
[理学療法啓発ラジオ番組]
5・7・5で紡ぐ私の
「健康と理学療法」川柳
福島県理学療法士会では川柳コンクールを企画し、優秀作品については令和7年7月13日12:15~12:30のラジオ福島で朗読を行います。ラジオ福島のホームページ内のPodcastから放送内容を聞くことも可能です。
- [ 出 演 ]
- 舟見 敬成 (一般社団法人福島県理学療法士会会長)
- 岡崎 可奈子 (一般社団法人福島県理学療法士会公益事業局長)
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一般部門(県外)
「ここまでか 思った昨日を 越えた今日」
転倒による足首の骨折で家事も育児も仕事も、全部止まった。
自分が動けないことで、こんなにも家族に負担をかけるのかと、気持ちはどんどん沈んでいった。
理学療法が始まったのは、ギプスが外れてすぐ。
担当の療法士さんは、柔らかく、でも真剣なまなざしで 「無理はしない。でも、諦めない」 と言ってくれた。
足の指を1本ずつ動かす練習から始まった。 痛みで涙が出る日もあった。
昨日は、片足立ちの途中で思わず「もうここまでかも」と口にしてしまった。
でも今日。 いつも通りに立ち上がろうとしたその時、ふと足に力が入る感覚が…
そっと体重を乗せてみると、足が痛くなかった。
「ここまでか」と思った昨日を、今日、越えた。
わたしの中で、また動けるという確かな実感が芽生えた瞬間だった。 -
ココナッツ (静岡県)
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一般部門(県内)
「車椅子 じぶんの力で 最後まで」
私には8歳の息子がいます。
息子は1歳1ヶ月の時に二相性脳症になり後遺症で身体面での障害があります。
首もすわらず、寝返り起きあがりすら出来なくなった息子。
当時『息子が歩けないなら行きたいところに私が連れていき息子に色んな景色をみせてあげたい』そう思っていました。
そんな息子は色んな方との出会いやリハビリを続け、今年福島県障がい者スポーツ大会に出場し、
車椅子で自分の力で50メートルを走りゴールすることができました。
自分の力で前を向き楽しそうに走る姿に成長を感じ、
これからも色んなことに挑戦し色んな経験をしていってほしいという願いを込めて俳句にしました。 -
鈴木大翔母 (福島県会津美里町)
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理学療法士部門
「手の皺と 同じ数の ありがとう」
私は現在通所リハビリテーションにて勤務しています。
当時90代女性の整形疾患の方のリハビリを担当していました。
現在では歩行器を使用し、自宅内を自由に移動できるまで回復されました。
リハビリでお会いするたびに、私の手を握りながらありがとう、ありがとうと声をかけてくれます。
今後も利用者様の心身機能、健康をサポートできるようにまたお仕事頑張ろうと思える出来事でした。
心強かった。 -
さえパパ (福島県会津若松市)
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一般部門(県外)
「療法士 あなたのできるを 支え隊」
療法士の皆さんは患者さんの「できる」を支え隊だと思います。
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ファンタ爺 (大阪府)
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一般部門(県外)
「AIに できぬ声掛け ありがたい」
焦ってもしょうがないとわかっています。
そんな時、気持ちを落ち着かせるような言葉がけをしてもらえると、ありがたいと感じます。 -
やすよ (兵庫県 )
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一般部門(県内)
「昨日より 良くなってるね に励まされ」
入院中、毎日のリハビリの中でこの一言が自分の糧になりました。
半身麻痺ながら社会復帰して、現役で働いています。理学療法士に感謝しています。 -
伊東伸也 (福島県郡山市)
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一般部門(県内)
「脳鍛え コツコツ(骨骨)貯筋 明るい未来」
ちょっとした物忘れや体力が落ちてきたと思う今日この頃です。
未来の自分が心身ともに健康でありますようにと願いを込め誓いの一句としました。 -
齋藤京子 (福島県伊達市)
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理学療法士部門
「歩むたび 光差し込む 道しるべ」
リハビリは、ときに長く、つらく感じる道のりです。
しかしながら、患者さんが一歩を踏み出すたびに、その先に小さな希望の光が見えてくる瞬間があります。
その歩みを支える理学療法士の関わりが、道しるべとなり、次の一歩を照らします。
この川柳は、リハビリ時の患者さんの努力、そして絶え間なく続き、歩んでいくリハビリの旅を支える私たちの役割の尊さを表現しました。 現在、私は理学療法の教員をしています。
患者さんを支える理学療法士になるために、学生の皆さんは、それはまた厳しい道の旅を一歩一歩と進んでいます。
時に、暗闇にもがくほどさまざまな困難や壁にぶつかっていく学生に対して、
“光をともす側”としての誇りと責任を忘れないでいたいとい自戒を込めた句でもあります。 -
一生青春一生勉強 (福島県いわき市)
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「麻痺の手で 描く未来は 無限大」
脳梗塞で倒れた父。
そこからは右半身に麻痺があり大変なリハビリが続きましたが、
理学療法士の方が寄り添ってくれできることも増えていきました。
あれもしたいこれもしたいと夢は無限大の可能性がありその為に頑張る父の姿がありました。 -
逆ペリカン (大阪府)